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ええーと・・・、シューカツ生と思しき人が・・・

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などなどのキーワード検索で訪問して下さっているんですが・・・
この手のキーワードを眺めていて、ふと感じた疑問があったりなんかします。

それは何かっつーと・・・

人間って、何のために働くんだろーか?
「働く」って、何なんだろーか?
仕事って、何なんだろーか?


などなどだったりなんかして。

ううーむ・・・

改めて考えてみると、ムズイっすよねー、コレって。(^^;)

んなワケで・・・

人間力とやらは「仕事」や「働く事」等を考えてみると見えて来るのかも?

の続きっちゃー続きのような、そーでないよーなって内容をカキカキしてみよーかと。(^^)

いやなに・・・

別件で図書館に行った時に、たまたま見かけたっつーコトもあり、こんな本も読んでみちゃったもんでー♪


「仕事の報酬とは何か 」


ぱらぱらぱら~っと、ページをめくってみると・・・
白い部分が目立ちました。
つまり、文章がつめつめに詰まっているのではないっつーコトで。

喩えるならば、「詩」に近いイメージでしょーか。
そのせいか、比較的さら~っと読めます。

引用で紹介すると、こんな感じっす。


=== ココから ====

【仕事の報酬って、何だろう?】
「なぜ、こんなに一生懸命、働いているのですか」
「そんなに一生懸命働くことによって、どんな報酬を得ているのですか」
「あなたにとって、仕事の報酬とは何ですか」

この問いに対して、いかなる答えをするか。
それによって、これから歩むであろう道が、分かれる。

もし、この問いに対して、

「仕事の報酬は、給料や収入だ」と答えるならば、残念ながらその人は大切なものが見ていない。
そしてその結果、どれほど一生懸命に働いても、本当に大切な報酬を得ることなく、歩むことになる。

だから「分かれ道」。

「仕事の報酬とは何か」と問われると、しばしば、我々は、「給料」や「収入」というものを頭に描いてしまう。
たしかに、それも「仕事の報酬」。

また、ときに、我々は、「役職」や「地位」などを考えてしまう。
たしかに、それも「仕事の報酬」。

しかし、これらは、いずれも、「目に見える報酬」です。
そして、我々は、いつも、「目に見えるもの」に目を奪われてしまう。
「目に見えるもの」だけを見つめてしまう。

しかし、仕事にには、実は、「目に見えない報酬」がある。
目には見えないけれども、決して見失ってはならない、大切な報酬がある。
「収入」や「地位」とは違った、それらとは決して比較することのできない大切な報酬があります。


【目に見えない3つの報酬】
1. 能力
一生懸命に仕事をすると、職業人としての「能力」が身につく。
良い仕事を残そうとする努力を通じて、職業人としての「能力」が磨かれる。
そのことは、まぎれもなく、「仕事の報酬」です。

2. 仕事
一生懸命に仕事をすると、良い「仕事」を残すことができる。
職業人としての能力を磨くことによって、優れた「仕事」を残すことができる。
それもまた、素晴らしい「仕事の報酬」です。

3. 成長
一生懸命に仕事をすると、人間として「成長」できる。
仕事の困難と悪戦苦闘し、仕事の仲間と切磋琢磨することによって、一人の人間として「成長」していくことができる。
それは、ある意味で、「最高の報酬」です。


【2つの種類の報酬】
「報酬」というものには、2つの種類があります。

一つは、「自ら求めて得るべき報酬」。
一つは、「結果として与えられる報酬」。

しかし、我々は、この2つを、しばしば混同してしまう。

例えば、「収入」や「地位」。
これは、そもそも、「自ら求めて得るべき報酬」ではありません。
良い仕事、優れた仕事を成したとき、「結果として与えられる報酬」です。

これに対して、「能力」「仕事」「成長」というものは、「自ら求めて得るべき報酬」です。
仕事を通じて、それをいかに得ることができるか。

我々は、その2つの違いを、深く理解しておかなければなりません。
なぜなら、いま、世の中には、このことに関する「錯誤」が溢れているからです。
例えば、「キャリア・アップ」のブーム。

書店には、「キャリア・アップ」についての本が並んでいる。
いかに自分の商品価値を高め、それを収入に結びつけることができるか。
そして、有利な職業に転職することができるか。
そういった問題意識に答える本です。

また、雑誌では、頻繁に「キャリア・アップ特集」が組まれている。
そして、それらの雑誌の中には、給料の良い会社はどこか、年俸の高い職種は何か、待遇の良い企業はどこか、人気のある職業は何か、そういった情報が溢れています。

こうした本や雑誌が煽り立てる「キャリア・アップ」のブームの中で、我々は、無意識に、一つの「錯誤」に巻き込まれてしまいます。

「収入」や「地位」というものが、「結果として与えられる報酬」であることを忘れ、「自ら求めて得るべき報酬」であると考えてしまうのです。
そして、しばしば、我々は、それを得るための「うまい方法」があると、無意識に思ってしまうのです。
しかし、それは、明らかな「錯誤」です。

いま、なぜ、我々は、「働く」ということに、喜びを感じなくなってしまったのか。
それは、我々が、「目に見える報酬」に目を奪われ、「目に見えない報酬」を見失ってしまったからです。


【どうすれば「能力」という報酬を得られるか?】
最初に、一つの誤解を解いておかなければなりません。
なぜなら、いま、世の中に、不思議な誤解があるからです。
それは、「専門資格取得によるスキル・アップ」という誤解です。

すなわち、書籍や学校において「専門知識」を学び、資格試験を受けて「専門資格」を取ることによって、「スキル・アップ」ができるという誤解が、いま、世の中に溢れているからです。
しかし、改めて言うまでもないことですが、単なる「専門知識」を学んだだけでは、「スキル」を身につけることはできず、そのため、それだけでは、プロフェッショナルの仕事は決してできません。

例えば、弁護士です。
弁護士というのは極めて高度なプロフェッショナルですが、この職業に就くためには、まず司法試験と呼ばれる極めて難しい専門資格の試験を受けなければなりません。
しかし、弁護士という職業は、こうした専門知識や専門資格を身につけただけでは、決して仕事になりません。

例えば、ある日、依頼人が事務所に来る。
その依頼人は、訴訟になりそうな問題を抱えて、慌てている。
慌てふためいて話される依頼人の話。
それをしばらく聴いて、その混乱気味の話の中から、素早く要点を掴み取る。
これは、一つのスキルです。

そして、タイミング良く、相手の心配を解消することを話す。
すると、依頼人の気持ちも、少しずつ静まってくる。
そういった、カウンセラー的なスキルも必要になります。

そして、その後、相手方の弁護士との交渉になる。
そのときには、高度な交渉のスキルが求められます。

さらに、裁判の準備をする。
そのためには、本にも雑誌にもデータベースにも載っていないようなことを実地で調査しなければならないときもある。
実際の裁判になり、法廷闘争が始まる。
これも、かなり高度なスキルです。

このように、弁護士という職業一つを例にとっても、単なる「専門知識」ではありません。
やはり、プロフェッショナルとしての高度な「スキル」が求められるのです。

従って、我々が、もし本当に、プロフェッショナルとしての「能力」を磨きたいと思うならば、この「専門資格」を取ってからが勝負です。
そこで身につけた「専門的な知識」という「ナレッジ」の段階から、「職業的な知恵」とでも呼ぶべき高度な「スキル」の段階にまで、いかにしてプロフェッショナルとしての「能力」を高めていくか、それが勝負になってくるわけです。


【どうすれば「仕事」という報酬を得られるか?】
「仕事の報酬は、仕事だ」

これは、プロフェッショナルの世界では、しばしば語られる言葉です。
一生懸命に働くと、「良き仕事」を残すことができる。
その「良き仕事」そのものが、大切な「報酬」である。
この言葉は、そのことを意味しています。

どうすれば、我々は、「良き仕事」の精神を、「良き仕事を残す」ことの喜びを取り戻すことができるのでしょうか。
それを取り戻すためには、一つの大切な言葉を、思い起こすべきでしょう。

「作品」

その言葉です。

我々が、仕事を通じて創り上げ、顧客に提供しているものは、単なる「商品」ではない。
それは「作品」である。
その精神です。

その思想を持って、世の中を見渡せば、実は、そうした「作品」を創り続けている人々がいる。
たとえ「形に残らないサービス」であっても、素晴らしい「作品」を残し続けている方々がいる。

どうすれば、我々は、「良き仕事」を残すことができるのでしょうか。
一つ、覚悟しておかなければならないことがあります。
「腕を磨く」だけでは、決して「良き仕事」は残せない。
そのことです。

我々が仕事を通じて残すものは、実は、「作品」ではありません。
「共同作品」です。

それは、その仕事に取り組む多くの仲間と共に創り上げる「共同作品」なのです。


【どうすれば「成長」という報酬を得られるか?】
我々は、努力して腕を磨きます。
しかし、腕を磨けば磨くほど、なぜか、仕事がうまくいかなくなるときがある。

その原因を深く考えてみると、ふと気がつきます。
自分の心の中に、「俺は腕が上がった」という慢心があることに気がつきます。
そして、その自分の心の中の密やかな傲慢さを、実は、職場の仲間や仕事の顧客も、心の奥深くで感じ取っていたことに気がつきます。

これもまた、一つの成長です。

我々は、「良き仕事」を残したいと努力します。
しかし、そう考えて奮闘し、仲間に働きかけても、なぜか、仲間の気持ちに、なかなか火がつかない。

しかし、ある日、その理由に気がつきます。
「良き仕事」を残したいという自分の気持ちが、実は、自分のエゴの「達成願望」が発していたことに気がつきます。
そして、自分は、その職場の仲間の空気や雰囲気を敏感に感じる力がなかったことを知ります。

これも成長です。
それは、大きな成長です。

また、例えば、我々は、「良き仕事」をめざして、仲間にビジョンを語るときがあります。
しかし、そのビジョンに、少しも仲間の共感が得られない。
そうした問題に直面します。

そのとき、最初は、その理由を、自分の表現能力の問題と思っているのですが、あるとき、自分の心の深くを見つけていて、気がつきます。
自分自身が、そのビジョンを、本当には信じていないことに気がつきます。
そして、そのことを、仲間の無意識の世界は敏感に感じ取っていることに気がつきます。

これも、成長です。
それは、見事な成長です。

なぜ、我々は、一生懸命に働くのか。

一生懸命に働くことによって、我々は、「職業人としての能力」を身につけることができます。
「腕を磨く」ことの喜びを得ることができます。

そして、我々は、「作品としての仕事」を残すことができます。
「良き仕事を残す」ことの喜びを得ることができます。
それは、まぎれもなく、素晴らしい「仕事の報酬」です。

しかし、その素晴らしい「報酬」を求めて歩むことは、実は、さらに素晴らしい「報酬」に向かって歩むことでもあります。
それが、「人間としての成長」です。
「職業人としての能力」も「作品としての仕事」も、最後には、「人間としての成長」に結びついていくのです。

だから、それは、「最高の報酬」。
「人間としての成長」は、仕事の「最高の報酬」なのです。

では、いかにして、その「人間としての成長」を得るか。
そのための方法は、決して、「人間学」の本を読むことではありません。
また、「禅寺」へ行って修行することでもありません。

そのための方法は、ただ一つです。
「格闘」することです。
「人間の心」と格闘することです。

相手の心と正対し、相手の心を理解しようとすることです。
そして、相手に心を伝えようとすることです。
そのとき、そこには、「心の格闘」とでも呼ぶべきものが生まれます。

では、どこで、その「人間の心」との格闘を行なうか。

「職場」です。
我々が仕事をする「職場」です。

我々は、毎日、職場の仲間と仕事をしています。
しかし、毎日一緒に仕事をしていても、実は、その職場の仲間の心は、分かっているつもりで、分からない。
そのため、仕事が壁に突き当たったとき、ときに、お互いの心が、摩擦で軋み、ときに、お互いの心が、誤解で離れる。

しかし、それにもかかわらず、我々は、その「軋む心」や「離れた心」に、どう処してよいか分からない。
そのとき、我々は、悩み、迷い、そして、苦しみます。
そして、そうした悩みや迷い、苦しみのなかで、我々は、職場の仲間の「見えない心」と格闘します。
職場の仲間の「心」というものと向かい合い、正対し、格闘するとき、ときに、一人で溜息をつくこともある。

しかし、実は、我々は、こうして「人間の心」と格闘しているときにこそ、「人間としての成長」を遂げているのです。

その仕事が、マネジメントの仕事になるとき、我々は、「人間の心」ではなく、さらに難しいものと格闘することになります。
それは、「人間集団の心」です。

いざ、マネージャーとなると、それまで、仲間の気持ちが分かるようになってきたつもりが、分からなくなる。
そして、ふと、気がつく。

部下は、上司だからこそ、本心を見せないときがある。
上司というものが、「権力」を持つ立場であるがゆえに、心を開いてくれないときがある。
そして、そのとき、我々は、「人間の心」の難しさを、改めて感じるのです。

では、なぜ、「人間集団の心」と格闘することが、難しい問題なのか。
それは、「人間集団の心」というものが、単に、メンバー一人ひとりの「心」の総和ではないからです。

職場には、「心」を持った仲間が集まっている。
その「心」が集まると、それらが互いに結びつき、影響を与え合うため、そこに、「心の生態系」とでも呼ぶべきものが生まれてくるのです。
例えば、職場の「空気」や「雰囲気」。
さらには、職場の「文化」。

そして、その職場の「心の生態系」は、マネージャーの発したほんの一言で、生き生きと輝き出したり、逆に、そのバランスが崩れたりする不思議な存在です。
しかも、職場の「心の生態系」は、マネージャーの「一言」で影響を受けるだけではありません。
それは、ときに、マネージャーの「存在」だけで大きな影響を受けることがあります。

このように、「心の生態系」とは、敏感で、繊細な性質を持っているのです。
それが、マネジメントという仕事の難しさです。


【決して失われることのない報酬とは?】
例えば、「給料」や「収入」。
それは、言うまでもなく、使い果たせば、失われてしまう報酬です。

そして、「役職」や「地位」。
それも、その職を辞すれば、失われてしまう報酬です。

では、「能力」という報酬はどうか。
一人の人間が、永年かけて身につけ、磨いてきた能力は、それほど容易に失われることはない。
しかし、ときに、技術の革新や仕事の変化のなかで、苦労して身につけた能力が、価値を失ってしまうときはある。

されば、「仕事」という報酬はどうか。
もし、その仕事の作品が、建築物や製品などの作品であるならば、その作品は、永く失われることはない。
また、その作品が、形に残らないサービスなどの作品であったとしても、その作品に触れた人々の心に永く残ることはある。
しかし、やはり、いつか、建築物は壊され、製品も壊れていく。
そして、素晴らしいサービスの記憶も、いつか、人々の心から忘れ去られていく。

そのことを考えるならば、「収入」や「地位」という報酬はもとより、「能力」や「仕事」という報酬もまた、「いつか失われる報酬」なのです。

しかし、「人間としての成長」。
それは、「決して失われぬ報酬」です。

仕事を通じて、心の世界を広げていく、心の世界を深めていく。
仕事を通じて、人間を磨いていく。
人間を高めていく。

そうして得られた「成長」という報酬は、我々が、その生涯を終える日まで、決して失われることのない報酬です。

いや、そうではない。
それは、我々が、その生涯を終えても、決して失われることはない。
後に続く人々がいるからです。

振り返れば、我々の後には、多くの若き世代の方々がいる。
そして、この方々は、我々の後姿を見つめている。
我々が、一人の人間として、この「人間成長」という山の頂に向かって、どのように登り続けていったか、その後姿を見つめている。

そして、その若き世代の方々も、いつか、その山の頂に向かって、歩み始める。
我々の残した、その後姿の記憶を胸に。

その彼らの姿を、遠くに見つめるとき、我々は、そこに、決して失われることのない報酬を見るのでしょう。

=== ココまで ====


人によっても状況によっても、何を報酬ととらえるかは違うでしょーけど・・・
こーゆーコトを考えてみると、「自分にとっての、いい会社も見えて来る」のかも~???

なーんて、感じちゃいました。v(^^)v

興味あるかも~?って場合は、読んでみてもソンしないかも~。(^^)


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2011.06.26|書籍・TV・サイトなど||TOP↑
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Author:ストラくん

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